ある登山愛好家たちの間では、あの山も登った、この山も登ったと、山の名前を並べる人を、多少の軽蔑の響きをもってトップステッパーと呼ぶのだそうです。山の名前は山の頂上に付いているものと信じている人々は、当然、頂上を目指して登る。そして、頂上が標高何メートル、世界で何番目というのが、とても大事なのです。一方、山を山麓から中腹、山頂までの全体として捉えている人々にとっては、山頂はほんの山の一端にすぎず、山と言えば、むしろ裾野から中腹を指しているのです。世界中からネパールにやって来て、ヒマラヤの中腹をトレッキングする人口の大きさを考えると、世界的にはこちらの方が、ずっと多いのでしょう。
続きを読む 山の豊かな裾野「光栄です」
もう、随分昔の話。ある日、知人が来て自分の失恋話しを始めた。性格の明るい人だから笑いながら話すに・・、すっと長いあいだ好きだった人がいて、それが遠くの人ではなく、近くに居て、いつも逢える人なのだが、いつまで待っても彼の方から何も言ってくれない。そこで彼女は、ある日、意を決して、「私はあなたのような人と結婚したい」と言った。すると、彼からは予期しなかった言葉、「光栄です」というのが返ってきただけだったのでした・・。「いったい、どういう意味なの、光栄です、って」と、まるで私達にその言葉の真意を問うかのように言って声をたてて笑った。私達も一緒に笑った。が、ふと彼女の顔がゆがんで、大粒の涙がぼろぼろと頬を伝って落ちたので、私達は、はっと、事の重みを悟ったのでした。
続きを読む 「光栄です」変な子どもと立派な紳士
以前、鎌倉に住んでいた頃、私はもの書きに熱中していて、近所にそのための部屋を借りていた。細い裏通りに面し、通りから板戸を開けると猫のひたい程の庭があって玄関までのわずか二、三歩が、良い陽だまりになっていた。この通りは車が通らないので歩きやすく、朝夕などはけっこう人通りがあった。
続きを読む 変な子どもと立派な紳士お琴の稽古
子供の頃、姉は、多分嫁入り前だったのだろうか、毎日お琴の練習に励んでいた。それが、いつも、決まったように、おもむろに練習が始まったかと思うとまもなく、上手に弾けない自分自身に苛立って、終に、パチンと駒をなぎ倒すような音を立てて練習を終えたのでした。苦痛なら、お琴などやめれば良いと思うのだが、彼女にはその向こうに目的が有ったので、意地と根性でやり通さねばならなかったのでした。
続きを読む お琴の稽古「村人タケダ」と無農薬やさい
「村人タケダ」と呼ばれる友人が近くに居る。いかにも俺は村人だといわんばかりの服装をして、ことさらあちこち泥をつけて、野菜を届けてくれる。彼は三年ほど前に、長年勤めた会社(ロボット部品などをアメリカに輸出している会社)をやめて憧れの「村人」を始めたのです。有機・無農薬野菜を生業とする友人に恵まれたこともあって、今では、東京などの消費者グループに自分の野菜を届けて、はや、生計が立つようになった。初めの頃は、彼の手作り農業にも度が過ぎたところがあって、「耕うん機ぐらい使ったらどうか」などと、横から口を出して面白がった(今は使っている)。
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