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「アナンダの紡ぎの本」今年中の出版に挑戦!

アナンダが訳して出版した「アシフォードの紡ぎの本」が、数年前に売り切れた。再版の希望も多かったが、しなかった。それは、その本には「紡毛糸」の記載が無く、紡ぎを楽しもうと言うのに、大事な紡毛糸のページが無い「紡ぎの本」は、今では考えられない事。問い合わせには、すぐにアナンダの紡ぎの本を出すから、とは言ったものの、出せないまま年月は過ぎて久しい。自由に紡げるようになる独習本の範囲なら出せるのだが、時代は今、単なる技術を超えた内容の紡ぎの本を求めて居る。その内容は伝えるに困難。だが、経験を活かした紡ぎの独習本に加えて、今こそ、その伝えるに困難な内容に、挑戦すべき時だと思う。

前書き:「紡ぎ車は暮らしの道具」 かつて家庭にミシンや自転車が普及した様に、いつか、紡ぎ車が一般に広まり、紡いでいる姿が普通に見られるようになる。と、アナンダは信じている。が、ほとんどの人は、まさか、と思っている。

真面目に、何度考えても、やはり、紡ぎ車はこれからの我々の社会が必要としている大きな何かと関わっている。物が満ちあふれた今の時代に、人々が物としての糸を、紡ぎ車に求めるだろうか。恐らく、糸を静かに紡いでいる時間、その糸で何かを作って自分や家族が使う。と言った様な「在り方」が大切な何かの存在を象徴している。自転車やミシンなどとは、異なる領域を持って居る。が、それが何なのか語るのは非常に難しい。少し乱暴だが現代社会で人が心に感じる単語で言ってみれば、紡ぎ車は「自分」「自足」「自立」「生きる」「絆」「永遠」「時間」「繰り返し」「存在」「共有」「普通」「静か」「愛」「暮らし」などに関連している。これは響きであり言葉で内容の説明が出来ない。多分、紡ぎのその領域は言語(観念)の有効域の外に在るのだろう。ならば、自分で紡げば解る。と言うには、まずは、望む人は誰でも必ず本格的紡ぎが習得出来る方法を書いた上で、紡いだ糸が自分の暮らしに係る意味の領域に入る。そこで、この本の副題は「紡ぎの独習本」とし、必要な独習材料セットも本と同時に売り出し、本題では、「今こそ時代、家で糸を紡ぐ大事な意味」。アナンダには初めからこれまでに紡ぎ積もった山がヒマラヤの山ほど高く積もっている。偉人マハトマガンディーは紡ぎに付いて、何も言わなかった。が、アナンダは微細な事まで、紡ぎに役立ちそうな事なら全て言って、遠くからでも、その山の姿を伝えたい。

山梨の八ヶ岳のなだらかな南斜面にアナンダ本社はあるが、その辺には石器時代の遺跡がいくつか在る。そう遠くない所の一つの小さな遺跡は、今では残念ながら町がきれいに石垣でかこって、大きな資料館まで近くに建ててしまったけれど、以前は野原に立て札と竪穴式住居の模擬小屋が有っただけ。周囲に建物も無く、草むらには、古代人がどんぐりを石で摩って粉にした、中央が磨り減った台石が土に半分ほど埋もれたまま在って、ここに、彼らが、本当に暮らして居たのだな、というリアルな感動が伝わって来た。ある日の午後、その場に立って遠くに目をやると、正面に甲斐駒ヶ岳、左に富士山が美しい陽を受けて見えて、その感動的な風景から直感的に、古代人もこれを見た。人間は今と少しも違っていなかったのだと気付いた。当時も富士山は在ったはずだし、この風景が見える斜面の、わずかに平坦な地形の所にこの村を作るなんて、景色を見て美しいと感じる感覚も少しも変わって居ない。ただ、今は人口が増えて、素材が石から鉄に変わっただけの話しだ。人類の永い歴史からすれば、彼らも最近の人で、当然の事なのかも知れないけど。その時代の人も山菜や木の実を集め、合間に糸を紡いでいた。きっと繊維は草木からのものだけでなく、季節には、木の枝に付いた蛾のマユを集めて引き伸ばして木片に巻いていたに違いない。そのうち、その木片を回して撚りを掛け始めて「つむ」になった。想像だけれど、誰かが発明した道具では無く、各地で、手作業から自然に生まれたものに違いない。

人類が地上に生活を始めて以来、石器時代から銅器、鉄器時代へと、生活を支える素材が世界を変えて来たとはよく言われる。が、実際は、糸の方が鉄などよりもずっと大きく世界を変えた。それは人類の歴史から言うと、つい最近の事。すなわち、英国での「産業革命」。古くから糸は紡がれ、地球上ほとんど全ての個人、王様から乞食までが糸から出来た布を身につけて来たので、その消費量も合計すれば巨大。人類社会の大変化は、この糸が人の手から離れて紡績機で大量生産となった事で始まった。この産業革命が「植民地主義」を生み、他民族支配、人種差別、国家的搾取が始まり、戦争が各地に広がり、世界大戦。・・・遠い国の話しではない。これは、明治維新から今の日本の学校教育も、産業システムも、いじめも、巨大な数の引きこもりの苦にもつながる、「産業革命」からの大きな流れの中に、今、私達は生きている。人の生にこれほど重厚で密接な係わりを持っている物が、「糸」の他に何か有るだろうか。

古代人の道具を見ていると、家族の暮らしは今と変わらず、親と子供達とのかかわり方も、変わりは無かったと思う。今、多くの人に紡ぎ車が広がり、糸の実感と意味が普及し始めると、日本の暮らしの土壌が少しずつ、石器時代のどんぐりの土壌に戻りはじめ、暮らしに紡ぎがゆっくり帰って来て。古代人の暮らしとのつながりが戻る。と信じている。そう、アナンダの夢はこの土壌改良(ミミズの仕事)なのだ。

・・・・(阿)