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アナンダ講習会は原毛屋の枠からはみ出している?否、原毛屋だ。

今年はコスモスの花が見事だった。去年集めておいたタネを庭の雑草の辺に投げておいただけでこうも美しく咲き乱れる。来年もまたとコスモスの種子を取り始めると見事な量が毎日とれた。種子にはてんとう虫やカメムシ、クモなどがついて来る。また、足下には雑草がかくれていて私のズボンに種子をしつこく付けて来る。秋の日だまりで童話ふうに「どうしてお前はそんなに真面目に、この地上にはびこりたがっているのかね?」と聞いて見ると、山梨弁で「何ぃ言うだね、人間も同しじゃん。まったくぅ」と応えた。緑色、えんじ、橙色の虫たちも「そうだしそうだし」と言いながらタネ箱から出て来て「人間として、ちゃんとそれに答えられんじゃいかんよ」と言った。

その通り、いのちがどうしてそうなのか、しかし考えようとすると、もうその「考える」観念がそれ自体いのちの道具なのだから、既に知の能力の範囲を超えている。思考、認識の有効範囲について、私たちはいい加減のまま、それが生存の道具ではなく、まるで主人ででもあるかの様に錯覚しているが、主人は別の所に居て思考を道具として手足と同様に使っている。ほかに有効な道具が無いから説明は出来ないが、実際に意識も記憶も無いのに母の子宮に入って中で育って出て来た自分の事を考えただけでも、いのちの現実存在は認識と言う空飛ぶ鳥のような小さなものではなく、大河の水の流れのように堂々として揺るがないもののようだということは確かだ。実際、こういう事に関してのどんな説明も屁のつっぱり程度の役にしか立ってはいない。

アナンダの紡ぎ講習では言葉での説明を極力避けて、まずは練習。練習が進む過程で自ら発見し理解する助けに必要最小限の説明。始めから質問があっても失礼の無いように上手に逃げる。神経の必要繰り返し回数をこなしさえすれば体が紡ぎを覚えて、その質問は消滅している。泳ぎを覚えようとする人が水に入る前に浮力の説明を聞いても何の役にも立たない。自転車に乗れるようになるのも頭での理解ではなく体での習得。観念でなく体で学ぶこの類のことはとても多い。

さて、アナンダの講習会は紡ぎ車と原毛素材の扱い方(洗い、染め、混毛など)を教えたら、後は自分が作りたい糸を自分で作れば良いので、何も教える事は無い。が、「もの作りに役立つヒント」はある。

その1は、自分の暮らしに使える身近な物を作ること。使えて楽しい以上に、使っている時間に感性が伸びる。実用上の改良点に気付いて、次の新しいアイデアも浮かんで面白みが発展して行く。

その2は「虚像」と「実材」という二つの作法を意識することの勧め。これはどちらが良いという事ではなく、アナンダは後者の「実材」の作法を勧めます。これを習得すると出来る物が他人の目を気にする束縛から、活き活きとした自分の内からのものへと変わって来る。

「虚像」と「実材」という言葉は彫刻家のあいだで、塑像で作るか、石材や木材を彫るのか程度の区別で軽く使われる。が、私が昔、粘土や石で彫刻をやっていた頃に体験的に獲得して来た二つの典型的な作法の流れをこの二つの言葉に乗せて使っただけで辞書には無い。ものを作って行く過程で考え方の違いが方法の違いとなり、できたものが大きく違って来る。これは新旧二つの思想の歴史的な大きな流れにも関係している。一つは「虚像」という作法。これは頭の中にきちっと完成された理想像、完璧な「美」を描いて、その頭の中の虚像を粘土などで現実の空間に置き移して像として作り上げて行く作法。マーブルなどの石材に虚像を彫る人も居るし、目の前にお手本があってそれをコピーするのもこの類。もう一つは「実材」と呼ばれる作法。これは目の前の石材や木材などの素材と直接の接触、感触、色、臭いなども含めて素材との対話で、物の持つ魅力に自分の好みが引き出されて、形や色を思いつき、バランスなどのアイデアが出て来る。つまり素材と自分と共同で制作する作法。アナンダの客は、例えばセーターを作ろうと思ったら、原毛を多種類、出来れば牧場からの頭分フリースを、その多様な個体差を数多く見、(荷開き祭などで)手に取って見て、好きな素材を選ぶ。色も形も完成品がまだ頭の中に無くても、素材の色や感触から自分の正直な好みが、そのうち形になって来る。この作法はいい加減にやってみて考えるような作法だけれど精神的に自分も気付かなかった自分の好みが出て来たりして、とても深い。

フランツ・チゼックはウイーンで活躍した美術教育の改革者。中世からの伝統と権威に固まった当時の西洋の教育制度を、美術教育を通して実存主義的な方向に改革した一人。お手本をコピーさせるなど誤りだ。と、子供の魂を教師の独自の支配から解放し子供の想像力を自由に伸ばした。子供の心の内には感動的でとても大切なものがすでに在るのだから。という意味のことを言って活動した人。彼は子供に写生をさせる事も危険だと考えていた。それは対象をコピーする事に熱中して自分の心の内にある、あの大自然、魂からの大切なものを置き去りにしてしまう危険性があることを感じていた。百年前の西洋でのこの教育改革者の中には親がどれほど自分の子供の、この「内からの大切なもの」を破壊しているか如実に語る者も居た。
マリア・モンテッソリーは子供たちの指導に当って自分を子供たちに「教師」と感じさせないように努力した。それ以上に子供たちと居る時はあたかも存在しない者のように、透明人間のように居ようとした。

インドのタゴール大学では「先生」と呼ぶ呼び方が存在しない。「先生」と呼ぶのは自由な子供教育にとって危険とタゴールが感じたのだろう。教師の個人名の下に「さん」を意味する「ダー」(女性なら「ディー」)を付けて呼ぶように決めた。日本にも子供に教師を「先生」と呼ばせない学校は在るんでしょう?     (阿)