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100年かかっても大丈夫

小田 実(おだまこと)が亡くなった。テレビに彼の顔が映って、「日本の教育は富国強兵のままだ」と嘆いて涙ぐんだ。この社会の行く末を案じての涙か、それとも、自分がこの日本を変えようとあんなに努力したのに何も変わらなかったと悔しがっての涙か・・・ 後者なら、それは違う。「何でも見てやろう」以後、ゆっくり下から変わって来ているから大丈夫だよと、彼のお墓の前で言ってあげたい。社会の枠組みが変わるのは上からではなく下から。個々が変わって行って、その人数がある一線を越えた時に突然変わる。ちょうどベルリンの壁が壊れた時のように寸前まで、そう、ソヴィエトの崩壊の時も一見何も変わらないように見える体制は、一夜にして突然崩れる。

日本の学校制度ができた当時、富国強兵の教育理念が本当に必要だった。だが、今ではもう、とっくにやりすぎ。子供の人生は富国強兵の道具じゃあないんだよ。と言いたい人が増え、登校拒否児童(不登校児と呼びたい立場の人の方が多いが)の数も随分増えた。この子供達の魂からの貴重な訴えが日本の「富国強兵」教育の枠組みを壊す大きな力になると私は見ている。学校現場ではすでに学級崩壊が、あの現実をひた隠しに隠し通す城壁から漏れ出て公にされ始めてから久しい。で、学校制度はもうすぐ突然に崩壊する・・・?そうは行かないのでは?次の新しい教育理念がまだ地面にじわっと滲み出ていない。それどころか、多くの親も子も教師も実直だから、欝になっても自分の方を富国強兵に合わせようと努力している。・・・その水に住む魚が自分でその水の問題を見抜くのはとても難しい。そこで食べているのだし・・・。

大学紛争の時代に、座り込みや、校長つるし上げ、大学占拠、など、どういう訳か当時、世界各地での現象だったが、そんな騒ぎ方では枠組みどころか何も変わらないだろうなとは直感的に多くの人が感じていた。騒ぎを横目に見ながら、私はあの天国のように平和なインドのタゴール大学に留学した。ところが何と、その大学でさえ卒業式に手製爆弾が炸裂した。何と言う事だ、音と煙だけで誰も怪我などしなかったが式は即中止。その後、私は大学を去ってから汽車やローカルバス、船を乗り継いでパキスタン、アフガニスタン、イラン、イラク、エジプト、ギリシャを通過してイタリアへと旅をした。イタリアに着いて宿を借りて落ち着いた頃、パリでは学生が道路の石を剥いで機動隊に投石していた。平和の歌もその頃、世界中に流行した。

小田実の著書「何でも見てやろう」が多くの若者に確かな影響を与えたその内容は、教科書や、書物、観光地など、誰かの観念や知識、人の仕込みに乗るだけでなく、何でも自分で実物を直接見る。人々の暮らしに接して本物を体験し、それを信じる。世界を旅した多くの若者がそれで気付いた一つの確かな事は、どこの国の人も個々の人の心情の中に一枚の岩盤のような共通のものが存在している、それは人の日常の「暮らし」の中にあって、国とか民族とか宗教とかいう観念の構築物とは別次元のもの。どんな状況、高山に住んでいようが熱帯に住んでいようが、貧しかろうが、裕福だろうが、たとえ戦争で戦っている敵も味方も、多分、古生物時代から動かぬこの確かな土台が日常の暮らしに在る。その目線で世界を見る見方を小田実は私たちの多くに広めてくれた。それは大学紛争と逆の、無農薬農業とか、紡ぎ車と世界の原毛だとか・・・・!とても気の長い地道な、しかし、今では大きな流れとなっている。100年かかっても大丈夫。

オダマコトって誰ですか?とアナンダのスタッフが聞くので、耳を疑った。知らない?あの人物を知らないの?「富国強兵」って何だかも知らない?そうかァ、君らが生まれる前の出来事だったんだね・・・自分が歳をとってしまった感慨よりも、不安と焦りが頭をかすめた。もしかして子供達は選別装置に乗せられて、毎日テスト勉強に追われて、世界の流れを何も知らない? 富国強兵の教育制度はますます完成の域に近づいて、さらに最近の学校では、子供が皆と変わった動きをすると保護者が頻繁に呼び出されて、お宅の子は何とか多動症ではないかとか、何とか症候群、何とか機能障害、その他の新しい病名が沢山。専門医がどうの、薬がどうのと「治療」を勧められた話しを実際に聞く。・・・病名を付けて人間を分別するのはアメリカから来た幼稚で軽薄な合理思想。大自然の、生命の仕組みはそんなに単純には出来てないし、第一、何とか機能障害だからどうだと言うのだ?教室に入れない子供が薬を飲まされて教室に入れるように「治療」された話しを聞いたが、教室が恐ろしく入れなくなったのなら、その子供の魂の叫びを聞いて教室の方を変えようとしないのは何故だ?それは当然、学校には学校の目的というものが在るのだ・・・。

子供達が自ら望んで歌う歌とも思えないのだが、なぜか耳にして覚えている歌で、「みんなァ同じィ 生きているからァ、ひとりィひとつずつ 大切な命ィ・・・」というのがある。これはみんな同じだよと言わないと不安だから、あえて同じを歌う。本当は「みんな違う 生きているからァ ひとりィひとりずつ 大切な違い」と真実を歌いたいところだが、実際に、生物学的に命あるもの同種でも個体差が有るのが自然で、それで良いのだ。それどころか、個体差が種の保存、繁栄にとてもとても大切なものなのだ。本来ならこう歌うところ、そんな歌が巷に流布すると、今の教育の根本に大異変が生じ、子供達が言う事を聞かなくなると恐れている。ヒトが群れて社会を作り多くを共有するのは人が良く生きるための生命の知恵で、みんな、すべて違うという真実の上に立つ方が、もっと良い社会が築かれるのでは?しかし、この風土の中でどのように個体差を大切にする社会が育つだろうか?他と違っていると村八分、仲間はずれ、いじめ、などの集団教育手法で培われた恐怖心が地面にじわっと滲みわたっている日本の風土で・・・?

小田実の働きはとても良かった。こればっかりは上から旗を振るわけには行かず、下からコツィコツ、母さん(または父さん)が紡いだ毛糸で編んだセーターを学校に着て行ける・・・とか。これじゃあ気長すぎて、大丈夫だよなどと小田実のお墓の前で言えるのだろうか。途中で戦争がまた起きて、多くが死んで、聞けわだつみの声みたいな、戦争にかり出された若者の日記がまた、本になって・・・旗振るな旗振らすなという詩が出て。また多くの人が、小田実のように言って涙ぐんでしまいそうだ。それでも、確かな事は100年かかっても母親たちが変わらないと子供たちの主体は腹に育たない。いつまでも%と温度が指示されてそのとおりに木綿の藍染めが出来る「上質な労働者」に育てられる、その枠組みは変わらない。先生や先輩の言う通りではない自分の手で何でも作って暮らしに使うという手作りの意味はとても大きい。アナンダが毎年やっているインドグループ旅行も、オダマコトの目線、「暮らし、実存、我」と、考えて見ると、共通の流れですね・・・・。  阿

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