手作りの品が安く買える国という事は、その手作りする人達の生活費が安く暮らせる国と言う意味でしょう。その環境ならば、その人の手作りの物が安くできるのは単純な道理です。インドでは自分の庭に5本の椰子の木が生えていれば暮らしていける。と、かなり大袈裟ですが言われます。椰子の実が一年中実って、ポトリと(実際は重いのでドテッと)落ちるのを待って、市場に持って行って売れば良いのだそうです。冬も寒くないので(地方にも依りますが)、食物蓄積への圧力が日本人の感覚に比べれば非常に低く、つまり、蓄えておかなくても日本のよう厳しい冬は来ないのです。衣類も、ほとんど腰布一枚で良い地方が多いし、家も日干しレンガで椰子の葉ぶきで、とても快適です。
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キウリと爆弾 紡ぎ車の譲れない領域

秋になって急に寒くなってきたので、朝の出がけに今日はセーターを着て行こうか行くまいかというと、そんな事は自分で判断してちょうだいと言われた。 日常の大抵の事は判断と言ってもこの程度のことで何となくやっていけている。キウリを食べても、キウリがどんな形で切り口が三角なのか四角なのかもろくに見ていない。単にキウリという記号を食べているような気もする。
続きを読む キウリと爆弾 紡ぎ車の譲れない領域遠い海の記憶
子供のころ、家が海の近くにあったので、生きの良いイワシをいつも食べて育った。カツオ船がイワシを撒き餌にするので、よく沖合いに生けすが浮いてカモメがその辺りに群れていた。近所の漁師がたまに、海からの帰りに「生きてるよ」などと言ってイワシを置いて行ってくれるのを見ていた。先日、フランス料理店で、ふとイワシの文字が目に入り注文した。出て来たイワシがオイルと香辛料で料理されているので、一瞬 不意をつかれたようにじっと見つめてしまった。せっかくのイワシなのだからこんなに加工しなくても・・・。と「感じた」からだが、これは私のイワシの記憶とそれがあまりにも違っていたということで、フランス料理の味がどうという話しではない。フランス人にとっては、イワシはこれが当たり前なのだ。私の遠い海辺の記憶がイワシを前にして、その時、とてもはっきりした「感じ」を反射して来た。
続きを読む 遠い海の記憶目に見えない大切なもの
最近、吉祥寺店に出向いて4~5日泊まる仕事が何回か続いた。その時、食事について面白い事に気付いたのでした。近くのスーパーに行くと、おかずが一人二人分に小さくパックされて並んでいる。味も店によって違うし種類は実に豊富、値段も手ごろだし食物に関して不自由はない。と思ったのですが、これは2日目くらいまで。3日目くらいからは何品並べても何か足りない。5日目になると食事に惨めさが漂ってきた。これは、もしかすると、普段の食事には何か目に見えない大切なものが付随していて、否、当然、人は毎日これを一緒に摂取して生きている。と気付いたのでした。
続きを読む 目に見えない大切なもの手作りの国
「手作りの国」を感じる旅日本がまだ石器時代だった頃にインドでは既に上下水道を完備した都市国家がありました。この何千年という歴史、異なる民族が多重に重なって、闘い、また共存を見つけ平和に生きる道を探り、人々や動植物の関わりを互いにうまくやって行く方法を積み上げて生きて来た。その分厚い蓄積として「多様性を肯定する文化」が在る。これは私達の国、日本という島国の「みんな一緒」文化とは大いに異なるもので、私達がその環境に一歩足を踏み入れた瞬間に感じるでしょう。何か生存在の根本が違っている様な感じ。それは手作りの暮らしの文化と巨大産業組織のロボット的文化の違いのように私には感じられるのですが、皆さんはどうでしょう?
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