子供の頃から何かにつけ「ああ、そうだったのかあ!」と物事に後で気が付くと、兄たちは「あとで気が付くねしょんべん・・・」と言って笑った。 私は今も変わらず、自分で始めた事でさえ、後でその事が別の角度で見えて来たりして「ああ、そうだったのかあ!」と気付くことがよくある。ネションベンなどと不都合な事でなく好都合の方が多いように思う。例えば「後で気が付く運の良さ」とか「後で気が付く周囲の助け」または「後で気が付く女房の力」「後で気が付く褒めの魂胆」等々。
すべての事は目の前の現実にそれを見て感じない限り何も気が付くはずは無い。なぜなら、頭の中で考えた事は、まだ脳の中の虚像で、自分の目の前の現実に一体どれほど反映されるものか。自分は一体何をやりたいのか。やろうとしているのか、考えて居てもダメで、本当は全てやって見て真実は「後で気が付く」しか無いのだと思う。
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