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北国の羊飼いの牧場を訪ね

医学的な脳の中の現実の話し。ある男が戦争で手りゅう弾を右手に持ったまま暴発させてしまったとかで、右腕の全部を失ってしまった。腕の傷はもう何年も前に治っているのに、その男が、何と、無い右腕の手の親指が自分の手のひらに刺さるように曲がって締め付けるので痛くて耐えられない。と治療にやって来たのでした。無い手が痛むなどと、はじめはオカルトめいていて怪しい話しに感じたが、私たちの皮膚感覚は脳の中に、まるで地図のように全身の位置が統括されていて、各部所からの刺激信号が脳に送られて、全てを感じ取る仕組みになっているので、失った手足が痛む例は、実際にいくらでも有るらしい。

一瞬の爆発で腕が吹き飛び、まして本人が気絶したりすると、脳が冷静に「腕は無くなった」という信号を正確に取り込めずに、無い腕が脳の中で奇妙に存在し続けて痛みの信号を出し続ける。さて、無い手を治療するのは薬を塗る訳にも行かず,麻酔薬を注射する事もできない。とにかく、その腕は無いのだから・・・そこでその医者が大変に示唆に富んだ方法を用いて治療を試みた。患者を机に着かせて健康な左手を机に乗せて、一枚の鏡を患者が鏡を覗き込むと左手がちょうど患者の右手の位置に映るように鏡の位置と角度を調節して机に立てる。左手を開いたり閉じたりしながら鏡の中を覗き右の方を見ると、まるで実際に右手が存在して指を開いたり閉じたり、健康にそこで動いているように見える。この感動的な鏡の中の手の動きを繰り返し見続けた患者の脳はこの視覚信号を受け入れて脳内の右手の親指は開き、自分の手のひらに食い込む痛さは消えて治療は成功した。

さて、この治療は特別な意味を含んでいる。医者は患者の脳に「君は右腕を無くしたのだよ」と外の「事実」を教え込むのではなく脳の中の痛む右手をそのまま「現実」として認めて「右手」にリハビリを施した。そうしなければ患者の現実は動かないのだから仕方がない。が、これでは、脳の中の右腕がいつかまた痛みださないとも限らない。もう一つ似た話、「昔、ある所に、幽霊とか悪魔とかを恐れる人が居た。その人に「幽霊なんか居ないんだよ」と言っても、何の効果もないので、逆に守護霊とか天使のイメージを与えて毎日祈る事を教えた。するとその人は以後、美しい天使や明るい霊に守られて幸せに暮らしたとさ」この話も、この幽霊がその人の脳の中でいつか、力をぶり返して天使や守護霊を追い出さないとも限らない。

これらは、ヒトの脳の中の現実が外から構築されて、ある効果を得るけれども、ヒトの脳の中の「現実」と外の「事実」とが違っていると、いつかはそれに修正が来るかもと言う不安の話し。世界中どこの国でも戦争には学校教育で愛国心を教え、国旗や国歌、軍人、英雄、日本では靖国神社、天皇陛下、大日本帝国、など、国それぞれ,そのための装置はいろいろ。街では新聞、ラジオ、町内会まで一丸となって、例えば鬼畜米英のたぐいを唱える。乗れない者は非国民と言っていじめ、多くの人々が出兵し命を落とし、日本の場合ついには多くの少年が自発的に特攻隊となって自爆攻撃に飛び立つほどまでに、人々の脳の中に一律の戦時の現実が構築された。このように構築される群れの精神現象は、幽霊や悪魔と同じく捉えがたく、例えば愛国心がどこから生まれ、何のために、どこに属して有り、どんな働きをするのか。敗戦で消え去ったように見えても、ヒトの脳に残しておいたものが、いつかまた力をぶり返して庶民の暮らしの邪魔を、また始めなければ良いのだけど・・・・。

多分、しかし、ヒトはそう単純には出来ていないから、そんなに大げさに心配しなくて良いですよ。たやすく外から作られるヒトの脳の中の現実は、それはそれとして、太古の昔、私たちの生命がまだ単細胞生物だった頃からの命の連続をヒトは肉体の内深くに持っていて、そう、じっと紡ぎなどしながら、また北国の羊飼いの牧場を訪ねてその感じを呼び戻して脳の中に平和なそれを再構築しているのです。多分、自分の手で内から感じながら物を作るのはその作業に違いない。きっと。・・・・ 

(阿)会報 糸ばたかいぎ 2006年秋号掲載