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オモトの会の話

少年の頃に、お爺ちゃんの鉢植えのオモトが、一葉何十万円とする話しを聞いて驚いた。つまり一株百何十万円で売買されているとか。その時、彼が言うのに「これはね、植物好きの人にとってはただの草なんだよ。お金が好きな人達が見れば、みんなため息ものだ」とのこと。オモトの会では希少のオモトや蘭を売買して、市場価格が出来て来る。互いの欲で値段がつり上がって行って何百万円という「名品」が生まれて来る。彼が続けて言うに「でもねえ、人間の感覚なんて妙なもんで、高く売れるものが美しく見えて来るんだよ、感覚ってのは面白く出来てるねえ・・・」

少年の頃のオモトの話しをなぜか時々思い出しながら自分は美術大学を受験して、毎日、真面目に制作に打ち込んで行くと、オモトの会の会員と、美術の会の会員にだけはなりたくないなあ、と思うようになりました。やっぱり、本当に価値あるのは「あちらではなくこちら」です。
立派な物を作ろうという心はどうもいけない。自分の暮らしに生きる本物を作らなきゃ。現実の暮らしから生じた本物なら技術は下手でも光っている。名品をねらって作ると、その下心が出来た物に見えかくれする。自分の生命を賭して立派な物を制作し、展覧会で賞を取り権威になりたがっている友人が居るが、彼はそれを経済活動と割り切って真面目だ。もともと展覧会というのは作品が世に販売されたり、職を得たり、自分で教室を開いたりする時の価格の基準を決める作家評価組合の行事なのだから。そう、経済活動とは限らない人も居て、人の存在は複雑でいろいろですよね。しかし自分は自分。本物を大事にして、世間の価格評価なんかに乗せられないように。

(阿)会報 糸ばたかいぎ 2007年秋号(30周年記念号)掲載