もう、随分昔の話。ある日、知人が来て自分の失恋話しを始めた。性格の明るい人だから笑いながら話すに・・、すっと長いあいだ好きだった人がいて、それが遠くの人ではなく、近くに居て、いつも逢える人なのだが、いつまで待っても彼の方から何も言ってくれない。そこで彼女は、ある日、意を決して、「私はあなたのような人と結婚したい」と言った。すると、彼からは予期しなかった言葉、「光栄です」というのが返ってきただけだったのでした・・。「いったい、どういう意味なの、光栄です、って」と、まるで私達にその言葉の真意を問うかのように言って声をたてて笑った。私達も一緒に笑った。が、ふと彼女の顔がゆがんで、大粒の涙がぼろぼろと頬を伝って落ちたので、私達は、はっと、事の重みを悟ったのでした。
彼女は羊毛を紡いで編んだり織ったりする事では、とうに素人の域を出ている人でした。ジャコブにはシュロプシャーを混ぜるとどうの、ここはこう編めば洗濯しても形が崩れないのと、その心配りには感心させられたものでした。年に一度作品展をして、いつも売り切れる。こんな人の事だから、彼にはさぞ、素晴らしいセーターや温かい手袋などを、編んで上げていたのだろうと思うと現実はそうではなかった。何も編んで上げてはいなかったのでした。ちょっと、それはおかしいんじゃないかと思うでしょう。が、彼女は自分の編み物を「仕事」だ、と考えていたのでした。仕事には自分の全てを注ぎ込み、真正面に向き合うのに、自分の愛の事となると、からっきしで、歯痒いばかりに気が利かず、どこか不自然なのです。これは、彼女一人の話ではなく、よく有る話、いわば日本文化そのものなのではないですか。
万葉の時代にまで遡れば話は別として、いつの時代からか、たぶん、この何百年もの間、「人を愛する」と言う事は「四畳半」に人目をはばかってあるべき事、表通りに立つことはまかりならぬ、のでした。愛の表現は屈折し、矮小化してしまった。それは恋愛に限らず親子の愛でさえ、多くが、悲しいまでに曲がって表現されている。
昔の話、テレビを嫌がっていた偏屈ものの私達のところに妻の実家から「今どきテレビの無い家なんか、あるかね。孫が友達との話題で苦労するといけないから」と言ってカラーテレビが送られて来た。「よけいな事すんなて」と箱も開けず送り返してしまった。この対話は、ほとんど、隠れキリシタンが仏像の裏にキリスト像を隠して拝んだように、御禁制の愛を「ぶっきら棒」に隠して伝えていたのでした。翻訳すると、「お前達を愛して居るよ、孫がテレビを見て喜ぶ姿を想ったら、つい買ってしまって、送るけど」、「有難う、こんな高価なものを。テレビ好きのあなた達が白黒テレビなのに、ここではカラーも無用の長物になるといけないから、あなた達がカラーでテレビを見てください。返送しますよ。愛していますよ」なのです。
人前でこんなに愛を公然と口にするのは、キザで、クサくて、何か禁制品の大麻か何かを扱ってるような、後ろめたい感じがするのは何故なのでしょうかね。神は愛だとて、万事の中心に据えるとまでいかなくても、せめて四畳半から出してやって、好きな人に、せっせと紡いで、編んであげる。そう、羊毛をたくさん消費するの、忘れないように。
(阿)会報 糸ばたかいぎ 1995年保存版に掲載