とても気になる人です。100年以上も前にウイーンで活躍した人ですが、彼は子供に絵を教えながら大変なことに気が付いたのです。子供は自然に、教えられずに、美的感覚が具わっていて、ひとりひとり、みんなちがったものを持っている。そして、それぞれは違ったやりかたで表現する自由を持つべきもので、決して大人の考えや、方法を押し付けてはならない。子供の発達を大人が外部から人工的に早めたり、大人の考えを満足させるために手を加えてはならない。と言うことでした。彼のこの事は、絵の指導方法などというレベルの話ではなく、実はもっと大変な、まるで天動説の時代に地動説をとなえたような、今だに世界に影響し続けているほどの事だったのです。
子供の絵などは「美」からは程遠く、未熟で価値ないもの、また、人間としても一人前ではなく、子供は大人になるための予備的なもの、取るにたらないもの、というのが常識だった世界で、彼は子供をそのまま全的な一人の人、大人と等価の美を創造できるものとみなしたのでした。彼のこの視点は実践を通して子供達が「自分で感じたことを自分のペースで、自分のように表現すること」を助け、「あるものはのびのびと大胆に、またあるものはしみじみと丁寧に色彩され」おどろくほど美しい絵が彼の教室にあふれました。(表紙)
むかし、地球が宇宙の中心で太陽や星々が地球を回っていると信じられていた時代に、地球の方が、実は、回っていたのだという事を発見して、世間からひどく「いじめ」られた人が居ました。チゼックは、美術教育の方法論に、うまく逃げ込んだのであまり「いじめ」られなかったけれど、彼は、実は、「美」について、巨匠の名画でがなく、目の前の子供達の作品の方に、あからさまに基準を置きかえた人だったのです。価値の原点を「あちらからこちら」に大切なものは「天国ではなく地上、未来の夢ではなく、今の現実存在、外にある理想像ではなく、内から生まれ落ちるもの」へと移したのでした。子供達の内面から表現されるものに、畏敬の念にも似た繊細さで、注意深く接したチゼックとは、まるで対極にある様な、今の日本の学校では、「いじめ」とか「登校拒否」とかの問題が言われている。感受性の優れた子供達が、小さな心を傷めて戦ったり、耐えたりしているのは、「大切なのは、学校や組織ではなく、子供達の方なのだ」「集団や全体ではなく大切なのは個人の方なのだ」というチゼックの視点を、小さな心で、感覚的に共有しているからに違いないのです。
さて、ゴッホやセザンヌの複製画を壁から下ろして、自分のタピストリーでもかけますか。
(阿)会報 糸ばたかいぎ 1991年春号(No.9)掲載