子供のころ、家が海の近くにあったので、生きの良いイワシをいつも食べて育った。カツオ船がイワシを撒き餌にするので、よく沖合いに生けすが浮いてカモメがその辺りに群れていた。近所の漁師がたまに、海からの帰りに「生きてるよ」などと言ってイワシを置いて行ってくれるのを見ていた。先日、フランス料理店で、ふとイワシの文字が目に入り注文した。出て来たイワシがオイルと香辛料で料理されているので、一瞬 不意をつかれたようにじっと見つめてしまった。せっかくのイワシなのだからこんなに加工しなくても・・・。と「感じた」からだが、これは私のイワシの記憶とそれがあまりにも違っていたということで、フランス料理の味がどうという話しではない。フランス人にとっては、イワシはこれが当たり前なのだ。私の遠い海辺の記憶がイワシを前にして、その時、とてもはっきりした「感じ」を反射して来た。
続きを読む 遠い海の記憶目に見えない大切なもの
最近、吉祥寺店に出向いて4~5日泊まる仕事が何回か続いた。その時、食事について面白い事に気付いたのでした。近くのスーパーに行くと、おかずが一人二人分に小さくパックされて並んでいる。味も店によって違うし種類は実に豊富、値段も手ごろだし食物に関して不自由はない。と思ったのですが、これは2日目くらいまで。3日目くらいからは何品並べても何か足りない。5日目になると食事に惨めさが漂ってきた。これは、もしかすると、普段の食事には何か目に見えない大切なものが付随していて、否、当然、人は毎日これを一緒に摂取して生きている。と気付いたのでした。
続きを読む 目に見えない大切なもの手作りの国
「手作りの国」を感じる旅日本がまだ石器時代だった頃にインドでは既に上下水道を完備した都市国家がありました。この何千年という歴史、異なる民族が多重に重なって、闘い、また共存を見つけ平和に生きる道を探り、人々や動植物の関わりを互いにうまくやって行く方法を積み上げて生きて来た。その分厚い蓄積として「多様性を肯定する文化」が在る。これは私達の国、日本という島国の「みんな一緒」文化とは大いに異なるもので、私達がその環境に一歩足を踏み入れた瞬間に感じるでしょう。何か生存在の根本が違っている様な感じ。それは手作りの暮らしの文化と巨大産業組織のロボット的文化の違いのように私には感じられるのですが、皆さんはどうでしょう?
続きを読む 手作りの国群から外れる恐怖
昔、ヒトが、まだ樹上生活をしていた頃に、落下する恐怖が脳に染み込んで、今だに、私達は落ちる夢を見てヒャッとするのだという仮説があります。それと同じように、ヒトは、猿の時代から群れて生きて来たので、親兄弟など自分の群れから外れ、はぐれて置き去りになってしまう恐怖が、私達の脳に記憶されていて、ヒトの行動を深く支配しているという仮説について書きます。
続きを読む 群から外れる恐怖つながっている感じ・・作り物と本物
サッカーの試合が小さな八百屋の店先のテレビに、四五人の通行人を足止めにしていた。私も吸い寄せられるように「日本、勝ってますか?」と、聞きながら加わると、見知らぬ人が、1対0で勝ってるなどと屈託なく応える。この、連帯感は何だ。ふだんはその辺で口をきいた事もない、気にもとめない八百屋に、地域住民?が、横のつながりを感じている。しかし、この感じは、自分の現実の暮らしのつながりではないから、まるで、テレビゲームが終わるように終わると皆消えた。
続きを読む つながっている感じ・・作り物と本物