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アナンダコラム(2020年秋冬号)

昔、ペルシャの詩人が「自分は鳥かごから出られて自由になった」と、喜びの詩を詠ったそうだ。この「鳥かご」の事は、私は何度も人に話したり書いたりしている。環境から知らないうちに心の中に構築された善悪、正誤、優劣、上下などの評価基準。その「観念」に彼は閉じ込められて、戦って居たのだ。ついに鳥かごから出られて、目の前の現実を「感覚」で捉えて生きる自由を獲得したのだ。

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庶民の心と多様性

戦時中の体験談を聞き歩いていて居て、ふと不可解なエリアの存在に気付いた。それは庶民の心の素晴らしい一面と、同時に、周囲への依存性または迎合性。米兵の捕虜が街の大通りを引かれていくのを、道端に立って見て居たおばさん達が、ヒソヒソと「可哀そうにねえ、あの兵士にも親、兄弟、友人が居るだろうに」と、話して居たのだそうだ。この体験談が、まず、不可解。その頃は町内会長の号令で、軍事教練「鬼畜米英」、大声で怒鳴りながら、ワラ人形を、竹ヤリで突き刺して居た。なのに捕虜となって引かれる若い米兵を見て、可哀想にとは・・。

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日本の伝統文化と同級生の話

小学生だった頃、65年も昔の話。子供達は学校から帰ると、裏通りや空き地に集まって来て、コマ回しやべーごま、カン蹴りなどして遊んで居た。紙芝居のおじさん、金魚すくいの爺さんが来る日には、少し広い範囲からも集まって楽しかった。その群れる子供達の中に、皆から少し離れて、時々、独りだけ立って、黙ってこちらを見て居る同級生が居た。裏通りの庶民の子供達は優しくて、みんなは彼を排除する事はなく、心のどこかで気にはして居た。が、手で誘うと、遊びに加わろうとはするが、ぎこちなく、いつも、気が付くと居なくなって居た。近所の人の話では、彼は暴力団の親分の子で、父親はろくに家には姿を見せず、母親も留守ばかりだったらしい。

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個々の多様性を大切にする文化と、生産効率のための教育分別文化

もともと多様な大自然。その中に生きる生物たちは、可能な限り互いに生き方を尊重し、排除せずに、葉を食物としたりして、お互いに生きようとして居るように見える。 が、人間やアリ、蜂などの、大きな群れで生きる種は、少し違った一面を持って居るように見える。人間が、今でも地球上のどこかで、「戦争」をやって殺し合って居るのが、つまり、不可解なのだ。もしかして、群れの行動の中には、他の群れとの戦いを好む「権力欲」が存在して、そこから生じた、理由のない戦争。つまり、殺人欲のような一面が、在るのではないか。身近な話、相撲やボクシング、バトミントンやテニスなど、まあ、オリンピックの全ての種目。とても面白いのはなぜだ? また、名作の彫刻から、甲府駅前の銅像まで、人を殺す刃物を格好よく持って居る。 日本の武士道とかも、伝統的な人殺し道具の使い方。マナーとして、土下座だハラキリだ、指詰めだと、明らかにヤクザ文化だ。それが悪いと言って居る訳ではなく、その真の理由が、どうも解らない。

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「インドもの祭り」の目玉商品

アナンダのゲストハウスがインドに完成!

清潔で快適な田舎に安く泊まれますよ!

そこに泊まって何をするのかと言うと、実はこれがアナンダの長年の夢・・・村々につながりの深い旧友、ヴィレンドラさんが、村の手作り職人たちに紹介してくれます。(すでに、あちこちの村の染め屋、刺繍屋、ラグ織り工房、木工、石細工、鍛冶屋、などに話しはしてある)村の職人のものを見て、自分も作りたいなら、そこに行って習って、自分のものを作る。もし、まぐれにでも良い物が出来たら、その職人に、それを何個でも自分で注文して帰る。物が出来たら、アナンダがまとめて日本に輸入してあげる。

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