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手作りが基本の国インドに憧れるのは?その根は?

手作りの文化は量産には向かない。量が増すほど精度が下がり、リスクが増していく。以前、綿の種取り機を100台、インドの村の職人に注文したら、喜んで受けてくれた。が、その職人から、しばらくして、60台で勘弁してくれと頼まれた。そして、受け取った60台の内、20台のみ、綿の種がつぶれない、そのテストも大変。売る時にも調節が自分でできなければ、アナンダに電話して、相談して下さい。と心配付きで売った。残りは調整に大変手間取るので、今も納屋に転がっている。

だいたい、現代インドで、綿の種取り機など、めったに見る事もないし、もともと、昔の村でも年に一台か二台ていどの注文だったのだ。それが100台と来たら大変だろう。そう言う環境のインドで、「アナンダ・ヴィレッジ・クラフツ Pvt,Ltd. 」という現地法人まで立ち上げて、今や、アナンダ独特のつむぎ車をインドで製造しようと必死になっている。これは何故だろう?

職人の手作りの良さを活かして、精度を要する部位のみ機械加工し、精度安定を得る。ねらいは(1)安くて丈夫、小学校でも購入出来て、子供が自転車を楽しむ様につむぎを楽しむようになる。(2)家庭の実用の道具。簡単に折りたためて押入れ収納が可。(3)リズム快適、美しいつむぎ車。家などを設計する時に、どういう家を造ろうかと考えて設計する。しゃれた家にしたいとか、食べる事が大事だから、キッチンを大きくする。とかの、設計思想が必ず有る。それは、事を為すときには全て、本人が意識しなくても、そこには真のねらい、魂胆、下心が必ず有る。インド製の実用つむぎ車が出れば、アナンダの紡ぎ独習本と相まって、つむぎ車がもっと多数売れる。つむぎ車が売れれば、羊毛素材から手織りのはたなども売れて、アナンダの売上げが「ぐんと」上がるぞおと、腹の底で考えている。さらに、今、書いているこのコラムにも下心が有って、それは、多分、システム社会から手作り社会の人間的な何かを取り戻そうとする、不可解な下心なのだ。