手作りの品が安く買える国という事は、その手作りする人達の生活費が安く暮らせる国と言う意味でしょう。その環境ならば、その人の手作りの物が安くできるのは単純な道理です。インドでは自分の庭に5本の椰子の木が生えていれば暮らしていける。と、かなり大袈裟ですが言われます。椰子の実が一年中実って、ポトリと(実際は重いのでドテッと)落ちるのを待って、市場に持って行って売れば良いのだそうです。冬も寒くないので(地方にも依りますが)、食物蓄積への圧力が日本人の感覚に比べれば非常に低く、つまり、蓄えておかなくても日本のよう厳しい冬は来ないのです。衣類も、ほとんど腰布一枚で良い地方が多いし、家も日干しレンガで椰子の葉ぶきで、とても快適です。
大英帝国がこの国から、原材料をできるだけ安く手に入れるのに、インド人の暮らしを出来るだけ「腰布一枚のまま」の状態に置いておきたかった。そこで、インド人の一般大衆に自分達の教養「近代思想」が広まらないように印刷機の持ち込みを非常に神経質に禁じた。その努力は徹底したものだった様です。この、大英帝国の「腰布一枚のまま」で暮らすのが良い。と言うのは、秀吉の「農民は生かさず殺さずが良い」というのと発想は同じですよね。これが私の日常の暮らしで感覚的にピンと来る事があるのです。私の弟が横浜で、インドからの商品も多いお店を経営しているのですが、店員をインドに仕入れに行かせるのかと思うと、それが実際はそうではない。彼に問うと、インドに行かせると、「店員」を辞めてしまうのだそうです。インドを体験した店員は帰国すると、日本での毎日の労働とその暮らしに疑問を持つようになり、とりあえず辞めるのでしょう。その去って行った若い店員達が、インドの体験で自分の人生に目覚めたのだから、どんどん行かせてやれば良いのにと弟に言うと、それじゃあ店が立ち行かないと言う。(行かせてやれば良いとは思うものの、日本の環境で彼等がどう人生を変えられるのか大きな問題です)大英帝国とは随分規模の差は有りますが、店員達に「印刷機」、インドの手作りの暮らしを見せないようにすると言う点で、大英帝国と実は何か共通してはいないですか。労働者に人生について自ら疑問を起こさせないためには、存在の座標系に触れる哲学に気付かせないようにする事。村で腰布一枚で紡いでいるより、ファッショナブルに肩で風を切って、いわゆる都会的な生き方をする方が価値あるのだと、大志を抱いてその価値に向かって働き続けて居て欲しい訳です。
インドを見てしまうと、「少年よ大志を抱け」と言ったクラーク博士の言葉に代わって「少年よ一つの価値座標に乗せられっぱなしで居るんじゃないよ」と聞こえてくる。アナンダに来る若者、美大生、大学生などの学校教育の問題に限らず、むしろ若者以上に年輩の方が、自分の内から変わって来ているように感じるのは。これは、この社会が変革期に来ているからではないかと感じてしまいます。若者の「それを疑う時間と空間」が必要とされていると言われます。(ちなみに、アナンダのスタッフは全員インド研修に行きます)アナンダの長年の夢はインドに工芸スクールを作って、実際のインドという場で、注意深く若者にその「時間」を確保する。そこで学んで帰国すると必ず店員を辞め(?)、しかも日本の社会で自立して食べていける自営の仕事に成功する。そういう力を付けるスクール。これは、とても困難な仕事ですが、・・・ところで、皆さん、第一期生に如何ですか? 私は最近、マハトマ・ガンジーが何故「腰布一枚」の姿を貫いて、大英帝国と戦ったのか、その意味が、解りかけて来ています。開校はいつの事か不明ですが、新入生の年令は問わずですので如何ですか・・・腰布一枚で?