サッカーの試合が小さな八百屋の店先のテレビに、四五人の通行人を足止めにしていた。私も吸い寄せられるように「日本、勝ってますか?」と、聞きながら加わると、見知らぬ人が、1対0で勝ってるなどと屈託なく応える。この、連帯感は何だ。ふだんはその辺で口をきいた事もない、気にもとめない八百屋に、地域住民?が、横のつながりを感じている。しかし、この感じは、自分の現実の暮らしのつながりではないから、まるで、テレビゲームが終わるように終わると皆消えた。
これは本物のつながり感覚なのかそれとも作り物なのか?マクドナルドハンバーガーが日本に入って来たころ、アメリカ風に訓練された若い店員の笑顔がとても感じが良いと話題になった。笑顔というのは「あなたと良いつながりがありますよ」という信号なのだが、業務としての信号(笑顔)は店頭限定なのだと、だれも知っていて誤解なく、うまく機能している。この類の業務的つながり信号、これら多くの努力は、どれも現実の人の「つながり」と見るには実に形式的で部分的に切り取られた切片のようで、本当の連続性の感じとは違う。
近代社会の大きな成果、即ち分業化が進み専門化が進んで、今は、全てをわきまえて作られた、つながりの時代、そして、それが気になって、現実のつながりを取り戻そうとし始めた時代のような気がします。アナンダの社員は、素人のままで、古代人のように親切、自分のままで客に接するように。
アナンダのツアーも本物の農場と現実の人とつながりを実感できる旅が主題だし、本音でお客ともつき合って・・・、アナンダのお客さんも、羊の毛を手で紡いで身にまとおうかと言う、かなりの古代人なのですから・・・。
(阿)会報 糸ばたかいぎ 2002年7月号掲載