何でも買える時代に、どうして、私たちは手で糸を紡いで何かを作ろうとするのでしょうか?動物の進化を考えると、私たちが、「群れを作って生きる有利さ」を獲得したのは、猿がヒトに進化するずっと以前からの事です。私たちに限らず、大きな象から小さな蟻に至るまで、多くの動物たちが、群の有利さを知って、群れて生きています。
私たちの群は特にすごくて、衣食住に係る生産、医療、育児、教育、娯楽等々ほとんど全ては群の仕組みが関わっています。すごく個人的な様なことでさえ、たとえば、朝起きて、トイレして、自分の顔を洗いながら、これは自分のためだけの仕事で、群に関係しないだろう、と思ってみると、町の水道水を使っているし、大企業製造の石鹸や歯ブラシ、歯磨き、タオル等々、(全部、最近出来た大型流通機構、スーパーから買ってきた)を使っている事に気づきます。いまさら、改めて言うにも及ばないのですが、物の生産はもちろん、流通、サービス、消費についても、「群のシステム」をうまく機能させて、大きく物を動かす事、マス・プロダクション、巨大化が有利で安く上がります。企業は合併を繰り返して巨大化し、金融その他のマーケットも国際化して、ますます巨大システム化するのは、世界の人口の巨大さからして、自然の成り行きで仕方のないことでしょう。そういう世界の流れの中に私たちは在って、さて、紡ぎ車を回して糸を紡ぐというのが楽しく、とても開放感を感じるのは、一体、何を意味しているのでしょうか?きっと何かを、私たちの原始的な本能は感じ取っているのに違いありません。工場が優れたものを安く製造し、合理的な流通システムで店に並べる。インターネットでボタンを押せば家に届いたりもする。
もしかして・・・・・・・だからこそ、きっと、紡ぎ車が家にあって、冬が来る前に、母親が毛糸を紡いで、子供たちにセーターやマフラーを編んでやるような暮らしが欲しくなって来るという気がしませんか?ばら色の未来の暮らしのイメージとしては、インターネットショッピングの世界ではなく、やはり紡ぎ車があって、お母さんが紡いでいる暮らしのイメージの方が、どうしても豊かって感じでしょう。こういう個人の小さな、直感的な欲求が巨大なシステムに飲み込まれて、無視されてしまわない雰囲気へと、私たちの群が進化していかないと、群はどうも個人にとって疎ましいものになってしまいます。学校教育も、きっとこちらの方向に、多少は方向を変えてきますよ。さて、アナンダはヒトの群の進化の為に、も少し合理的に、せっせと紡ぎ車を学校に売り込まなくっちゃ。・・・・・
(阿)会報 糸ばたかいぎ 2000年夏号掲載