昔、ペルシャの詩人が「自分は鳥かごから出られて自由になった」と、喜びの詩を詠ったそうだ。この「鳥かご」の事は、私は何度も人に話したり書いたりしている。環境から知らないうちに心の中に構築された善悪、正誤、優劣、上下などの評価基準。その「観念」に彼は閉じ込められて、戦って居たのだ。ついに鳥かごから出られて、目の前の現実を「感覚」で捉えて生きる自由を獲得したのだ。
ヒトという動物種は群れる才能が特に優れて居て、群れる事で生存競争に勝って繁栄して来たのだから、群れが個人を評価し、その基準を構築して当然のこと。昔から、どこの国でも、多くの指導者が生まれ、その基準を教育し、群れを統制する権力の基盤を築き上げて来た。同時に、個人の魂は、その基準の縛りから脱して、目の前の「感じる」現実に従って生きる自由な生き方を求めて、努力して来た。実は、私たち庶民には、とうの昔から、まさに日常の暮らしに根付いた、これは当たり前の感性だったのだ・・・。どこの国でも、どの時代にも必ずその動きは有った。哲学や宗教、座禅より、はるか昔から自立自由に効果的な術を、庶民はすでに知って居た。厳しい宗教の修行者の行(座禅など)も脱皮の行だし、西洋のキルケゴールやニーチエの実存主義、ハイデッガーの現存在も、狙いは同じ。その根底の感性は、例えば、日本で増えて居る不登校児童。群れの個体評価拒否と同じもの。フレッシュな感性は生命からの感性による警告信号なのだ。
群れることで繁栄する人類は大丈夫なのか?例えばレミング(たびネズミ)の群れのように、群れが巨大になると、みんな揃って川や湖に投身自殺する。3~4年おきに起こり、その群れの大きさは、巾が3~4キロ半もあったそうだ。これは人類も同じ。戦争という大量殺人を定期的に、実に今も、地球上のどこかで戦争は為されて居る。原爆での死人の数たるや、レミングごときではない。戦争は一体、何?その理由がレミングの自殺同様に不明なのだ。
アナンダのお客に、羊を養って、毎年、毛刈りに集まって楽しむグループと同じように、最近、綿を植えて、ワタの花を紡ぐワタの会などのグループが、あちこちに出て来た。ワタの紡ぎ(ウールの紡ぎも)が広がると世界に平和が来るという。アナンダも信じて居る。「綿を紡ぐ」、しかも細く長く、ヨリをしっかりかけて、平織で織りあげて、自分の服を仕立てる。すると、その物への愛着が、良いの悪いのという群れの評価観念、鳥籠を、きっぱり無に追いやり、自由な実感覚の世界に生き始める。(阿)