これは私が小学二年生の頃の記憶。最近、思い出しては、何か、今の自分に係わりが有るのではないかという気がして来た。その、ちょっと変なオジさんは、父が洋服屋を営んでいたので、たまに、店を閉める時間にやって来て、父と普通に話しながら、店が閉じるのを待って、小さな台を出して、二人で酒を飲み始める。私は子供だったので、父にあのオジさんの事を聞いてはいけない様な気がして黙っていたが、ふすまの向こうの方から見えた。
飲み始めて、しばらく話しているが、そのうち、そのオジさんは自分の右手を左手で激しくたたきながら、この手が悪いんじゃ。この手が放してしまったのだ。大事な息子の手を放したのはこの手じゃ。と言いながら、バチバチと自分の右手をたたき始めるのだった。いつも、飲むたびに最後はこれが始まって、父は辛そうに目を伏せて、じっと黙して(小さな声で何かは言っていた)耐えている様子だったが、それが終わると彼は静かに帰って行った。
延岡空襲の時に息子の手を取って走って逃げていた。その時、焼夷弾が足下に落ちて来たので、彼はとっさに、その火を飛び越えた。息子はその時、手が離れてあお向けに焼夷弾の火の上に背中から落ちたのだそうだ。父は辛いけど、彼の「この手がいかんのだ」を、誰かが聞いてやらなければならないのだと言って居た。どこででも飲むと始まるので、誰も、何かと理由をつけて、それを聞くのが辛いので彼を避けるのだそうだ。焼夷弾と言うのは火のついた恐ろしい油で、背中にベトリと付こうものなら、何かで取り去っても取った方も燃え出して、水をかけても消えないから、大変なのだ。一週間程で息子は亡くなったそうだ。
日本の街は木造の家々で満ちているから、焼夷弾は日本の町中を焼くのに、とても効果的で、どこの街も焼け野原になった。人類は何と優れた頭脳(?)を持っていることだろう。原爆は勿論、多種の爆弾、戦闘機、爆撃機、機関銃などなど驚く程良く考えられた人殺しの道具を・・・。人類は今も、大量に殺し合う戦争を真面目に地球上のあちこちで実行している。日本も戦争は放棄するとは言ったが、何となく、再度、戦争をしたい。権力は戦争を好むのは解っている。戦いを避けるのは負けた感じがして格好が悪いと言うムードになって来て居る。
庶民は暮らしが大事、戦争を好まない。が、庶民は簡単にムードに乗せられるので、その時代が来てしまうと、オリンピックの様に皆が戦争遂行に燃える。反対者を村八分にしていじめ、特攻が拷問する。
人類の歴史の中で、庶民の心、「個々の命と暮らしが大事」が力を持って、権力に勝利した例があるのだろうか? 唯一、人殺しの道具を使わずに支配者と戦って独立を勝ち取った例が、インドに有る。マハトマ・ガンディーの非暴力での徹底的な抵抗だ。 庶民は、とにかく、「乗せられ易い」ので危なくてしょうがない。権力者は乗せるプロなのだから・・・、自分もオリンピックや相撲など、乗って楽しむけど・・・紡ぎ車が世に広まると、戦争の時代は来ない。と、私は信じて居る。戦争の時代が来てしまってからでは遅いので、ゆっくり、のろまでも広める事が大事。次世代につなげて行かなければ・・・・アナンダの仕事はこれなので、仕事として面白そうだと感じる若者は「あととり希望」と書いてお手紙下さい。
アナンダ代表西岡秀樹