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のろまのスメーダ仙人

昔、ベンガル仏教寺に泊まった時に寺の人から聞いた昔話。

仏陀がもうすぐ、この道をお通りになると言うので、村人たちは道のでこぼこをシャベルや鍬で急いで平らにしていた。スメーダ仙人は山をも動かす力を持っているのに、やる事が、ひどくのろまで、その日も、手で畑の泥を運んで来ては道の中央に出来た水たまりを埋めていた。懸命に、だが、のろりのろり。

それを見た村人達は心配で手伝おうとしたが、ああ、もう間に合わない。向こうの空は七色に光り出して、妙なる音楽と甘い香りの風に花びらがひらひらと舞い降りて来て、村人の喜びの声が、大きく近くに響き出し、もう、仏陀はそこに。・・・水たまりはどうなるのだ。その時、スメーダ仙人はとっさに水たまりの泥の上に、バタリとうつ伏せになった。村人たちは歓迎の黄色いマリーゴールドや、バラの花びらを、仏陀の足下に多めに撒いた。仏陀は、村人に祝福の笑みを贈りながらスメーダ仙人の背中の上を歩いて無事に水溜まりを越して行かれた。

この話、とても格好わるい、のろまのスメーダ仙人の有様を、バカにするのでなく、優しく語っているが、何を言おうとした話しなのだろう。そこの寺は幼稚園から高校(12年)くらいまでの子供達が通う、とても雰囲気の良い学校を経営して居た。子供達に「のろまでも良いんだよ」と、多分、インドの哲学、「我」は「無」の話しの一つに違いない。のろまだろうが、格好悪かろうが、その我は「無」それが動かした「事」のみ「存在」。と言う、あの「我の存在」の話に違いない。日本ではそんな事は教えない。「褒めて育てる」などと言って、我の存在が何かに操られている様な真逆の教育だけど・・・・・

アナンダの客は家の中で紡ぐのだから、健康な牧場の毛を牧場主から直に仕入れて、アナンダが洗い、染めて、カードをかけて売りたいと、随分前に考えた。一頭分づつ袋詰めしてもらって輸入して「頭分フリース荷開き祭」を始めた。徐々に、仕入れ先も、ニュージーランド、スウェーデン、英国と広がって来て、最近では南米ペルーとも、つながり始めている。山梨本店の裏では頭分別に洗毛し、手染めが出来て、それをカード機にかけ始めた。ああ、このカード機は優れものだったのだ。7年も待たせてしまって、これは実に、のろまなスメーダ仙人の話ではないか。お客にはアナンダの背中の上を歩いて、一段上の素材感触の所まで行ってもらって、物作りを楽しんでもらわねば。

アナンダの仕事は今の暮らしに紡ぎ車が根付き、自然に育って行くような環境を築く事。次の目標は小学校の予算でも買える安くて丈夫な紡ぎ車の製造だ。これは子供を乗せて走るお母さんの自転車の様な実用の車。子供のセーターは母親が紡いで編んで着せるのが普通になる。と、日本は、何かに追われた忙しい暮らしから抜け出せる。数が世界を変えると言うから。きっと、紡ぎ車の数が世界に平安をもたらす。

哲学の先進国インドではマハトマ ガンディーが戦争というヒトの群れの殺し合い現象を深読みして、紡ぎ車を人の暮らしに呼び戻した。紡績機械の発明が産業革命を起こした。利益拡大が植民地主義を生み、適者生存の思想、他民族支配、権力、兵器、世界大戦。その流れの中で発達したカード機をアナンダはもらって(国内製の機械ももらってる)その能力に感動。もしや、心が産業主義に負けてない?それは大丈夫。アナンダの始まりが、だいたい、反体制。・・・生産効率優先で子供の個の存在無視、画一テストで個々を上下に分別、評価の鳥かご学校教育。・・これに反抗して出発した「だだっこ精神」の「行」なのだから。それに、いつも変わらぬのろまなスメーダ仙人タイプだし。