自分が書いて居るコラムはもしかして、毎回、同じ内容なのではないか?という感じから、古い糸バタを出して読んでみた。同じだった。つまり、不登校児童、引きこもり、・・・・自由であるべき児童の神経を、そうさせてしまう日本の社会、教育環境。実際に苦痛に耐えて居る子供に接し、何とか自由にしてあげたいと考えると、これを書かずにはいられない。アナンダのインドグループ旅行に、毎回何人か、そういう子供が親について来る。インドに着くと、ガラリと変わり、自由に自分の興味で行動し始める。何故だろう。




ある時、私の友人が「日本人はルールに従って生きる。が、インド人は自分の心に従って生きる」と、言った。
インドでは子供が、何かに熱中して周りを無視して居ると、その子に大人が横から何か言うと、「自分の生命は自分のために時間を使って居るのだから、横から何か言わないでくれ」と言うのだそうだ。そういえば、街の中で子供が大人に何か言われてのを見たことがない。子供が大人を立たせて、前で何かを一生懸命に語って居るのは何度も見た。インド社会では普通のことらしい。日本では学校は勿論、テレビ放送の内容も、例えば、「ぼうっと生きてんじゃねえよ」と叱られる。これは、インドでは、多分「ぼうっと生きでいて何が悪い?」と言われるのではないか。これは、良い悪いの話ではなく、多分、食物の生産量と個人の自由度の関係なのではないか。ベンガルの平原では、地平線の果てまで田んぼや麦畑が続いて居て、麦の穂が限りなく実って居る印象がある。家の庭にヤシの木が二本あれば年中ヤシの実には不足しないそうだし、バナナの木も一本で充分だと聞いた。食物の収穫量の話なのだから、文化の良し悪しではない。この環境に引きこもりの児童のための場所を作ってくれと言われている。
ツム(スピンドル)という道具は昔から自分で作るのが当たり前だったようだ。材料は身近にあるものを使って出来る。今の日本では、アナンダに来る客に、色々な部材を作って販売した方が良い。みんなの希望も聞いて、色々な素材で作れるようになったら、きっと面白いに違いない。材料費は完成した商品の十分の一程度の安さになるだろうと思う。(阿)
