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棲み分けと順位づけ

エコロジー(生態学)の興味は生物の個体、一匹二匹の事ではなく、個体が群れるあたりから始まる。虫の単純な群から、複雑な集団まで、例えば道徳や価値基準などを持った私たちヒトの社会までも含みます。環境との関わりの研究が進んで、今では地球の資源、気温、海、森林などが、虫や鳥などの群と同様にヒトの群にも、実は深く関わっているという事が解ってきました。当人達は意識しなくても、ヒトの社会の、その時代の価値感覚や道徳までもが、実は地球の平均気温が一度変動したせいだったのかな、と思わせるような研究も出てきています。

エコロジーが面白いのは、人間社会の出来事をまるで自然を観察するように見る点です。国家間の戦争や、身近な学校、会社などの、その集団の性質なども、とりあえず善し悪しは置いといて、良く観察してそのものを理解しようとする点です。
さて、猿を狭い区域に多数とじ込めると、互いに戦いの儀式を経て順位がついて群が形成されて落ち着く。群を作る動物は本能的にこの「順位付け」というのをする。という事が観察されています。また、群れより広い枠で「棲み分け」といって、自分の生きる場(餌場など)を特殊化、つまり自分を専門化、差別化して、互いに無駄な戦いを避けて生きるようにするのはよく知られています。そして、環境が狭ければ狭いほど、この「順位付け」が厳しく、真面目に行われ、ときに深刻なダメージを受ける個体さえ出て来る。また「棲み分け」も、細分化の度合いが激しくなるという事も良く知られています。

もちろん私たちヒトの群も例外ではなく、日常、例えば学校では、テストを頻繁にして、これは、いったい何をしているのかと言うと、生徒たちの「順位付け」を先生方が真面目にやっているのです。それは群れの中央事務所(政府)の委託を受けての真剣な作業だし、また、オリンピックをはじめ、あらゆるスポーツには勝敗があって、これも「順位付け」の儀式です。面白いことに、順位など付けようのない、本来自由なはずの芸術、工芸でさえ(業界がからむと)いろいろな展覧会を組織して「順位付け」がなされる。書道に、柔道のような級、段などの順位が設けられているのなど、とても面白いではないですか。また、ひどく自分を専門化して日本画家だ洋画家だと「棲み分け」をするのも、生存は大変だなあと思わせられます。先生または専門家は、実力はともかく、その事で食べているので高順位の人でなければならず、その順位を保つのにはお金も使い、努力も払われているのですから、その「順位」が大切なのは仕方がない事です。

広い大陸と比べて、島国は「順位付け」が厳しく、「棲み分け」(専門の細分化)が神経質だと言われます。日本は、もちろん、大陸と比べれば島国の特徴が大いに出ているに違いありません。学校でのいじめや登校拒否、最近では暴力。これらの深刻な問題は、私たちの「順位付け」のやりすぎから来るのかも知れませんよ。隣の子とうちの子と何事につけ「順位付け」の目で見てたりして・・・・くわばら、くわばらです。私たちのウールの手紡ぎ、植物で染めてセーターを編んだり、フエルトで何かを作るという楽しみだけは、何とか「順位付け」から遠く離れて、日常的で自由な創造の大陸に居たいですよね。順位など付けられない世界を自分は持っているという事、これこそが手で物を作る意味なんですから・・。

(阿)会報 糸ばたかいぎ 1998年7月号に掲載