ある登山愛好家たちの間では、あの山も登った、この山も登ったと、山の名前を並べる人を、多少の軽蔑の響きをもってトップステッパーと呼ぶのだそうです。山の名前は山の頂上に付いているものと信じている人々は、当然、頂上を目指して登る。そして、頂上が標高何メートル、世界で何番目というのが、とても大事なのです。一方、山を山麓から中腹、山頂までの全体として捉えている人々にとっては、山頂はほんの山の一端にすぎず、山と言えば、むしろ裾野から中腹を指しているのです。世界中からネパールにやって来て、ヒマラヤの中腹をトレッキングする人口の大きさを考えると、世界的にはこちらの方が、ずっと多いのでしょう。
山の中腹から裾野は、実に広くて豊か。そこは何も拒まず、異質のものを排除しない。多くの植物や動物たち、人間の村々など、多様なものを飲み込んで生かしている。これが山の偉大な魅力です。アナンダは、もちろん、この”山は裾野派”です。・・頂上は大変だからということもありますけどね。
さて、ここからはウールクラフトの話になるのですが。ある人が、「日本の染め織り文化にとって、底辺を広げようというアナンダさんの働きはとても大事なことです。広い裾野を持たない高い山はないのですからね」と褒め言葉のつもりで言ってくれたのですが、これは、正直、けっこう嫌味な言い方です。この人の言い方では、何か底辺は程度が低く、頂点が大事。まるで裾野は山頂のためにあって、山頂が文化で、裾野はそのための肥料か何かみたいな本末転倒を感じるではないですか。裾野こそが文化の本体で、山頂は裾野の帽子の飾り程度のものなのに。丁度、オリンピックで金メダルを取るのが目的で、そのために子供たちの間にスポーツを盛んにさせよう、みたいな。これはもう過去の時代に属する全体主義的視点からの言葉です。昔、王侯貴族が手にした見事な染織品は工芸の頂上に立つ品々でした。 その「貴族のための工芸文化」が育った社会では、職人たちは、この頂上に達すべく精魂込めて、技を極めたのでした。庶民は貴族のためにある、当時の社会の仕組みが結果的に工芸を頂上の高みに登らせたのですが、この頂上というのが、とても良いものとは思えない代物なのです。
インドの見事な石の建造物、タージマハルを造った石工達は、完成すると指を切り落とされました。この地上に二つと造れない、頂点の座を永遠に保ちたかったからです。日本の結城紬も、昔は最高のものを織るために、高ばたで織るのではなく、絹糸が乾燥しないように、湿気のある土間に低く縦糸を張る、いざりばたというはたで織ったのだそうです。このはたの名前は織り子の足が土間の湿気と冷えで痛んで、終には、いざりになる事から付いたとのことです。
職人は身を削って一体誰のために作ったのでしょうか。織り子の足が大事か、「最高のもの」が大事か、ひどい時代でしたね。今は社会の仕組みが変わって100年、やっと頂上ではなく裾野の時代が来そうです。
王侯貴族の時代の人々(精神構造)が生き残っている程度には、頂上の品々も生き残って、市場にわずかに流通してはいますが、もう、それもダメですね。商人が、古い価値を呼び起こそうと、どんなに格式や値うちをつけても、そうすればするほど、例えば和服が日常生活から消えていくように、もう値うちの物差し自体が、大きく移って、過去のものになってしまっているのですから。
滅びゆく見事な染織品、その山の頂上文化は、これからは、その在りようが変わって、私達が生活の中で自分の手で物を作るという本来の喜びを取り戻していく過程で、裾野へと吸収されて、あるいは裾野が栄えるための多少の肥料にでもなってくれるかも知れませんね。
(阿)会報 糸ばたかいぎ 1996年夏号掲載