以前、鎌倉に住んでいた頃、私はもの書きに熱中していて、近所にそのための部屋を借りていた。細い裏通りに面し、通りから板戸を開けると猫のひたい程の庭があって玄関までのわずか二、三歩が、良い陽だまりになっていた。この通りは車が通らないので歩きやすく、朝夕などはけっこう人通りがあった。
ある日、机に向うきになれないので、こういう時にはいつもやる事だが、木彫のノミを丹念に研いで、この日も朝から、木を削り始めていた。開け放しの玄関から、小さな庭の光を感じながら、小槌の音をたてていると、板戸が開いて、中学生ぐらいの見知らぬ少年が入って来た。何か、たてつづけに、私に問いかけている。服装はこざっぱりした、洗濯のきいた木綿を着ている。問いかけの意味がよくわからない。話しに脈略がない。やっかいな奴が入って来たと思った。甘い顔を見せて、入りびたりになられてはかなわない。その日は、適当にあしらって帰した。少年は次の日も来た。その次の日も、そして毎日、同じ時刻に顔を出すようになった。少年の言葉は、少し聞き慣れると、意味のない言葉はなく、話しに脈略がない訳でもなかった。まして、人の言う事を聞かず、めんどうを起こす様な事はない。むしろ、人の顔色の変化を敏感すぎる程に感じ取る子だと言うことがわかって来た。木の削りクズを拾うのでさえ私の気持ちを気づかっていた。少年は小さな庭の陽だまりから、木を削っているおじさんの作業を見ているのが、とても気に入っている様子だった。
ある日、少年が板戸を開けて入って来る、そのすぐ後から、もう一人、地味な背広を着た紳士が板戸を押して入って来た。
「この子は、あなたの知り合いですか?」
「いいえ、別に・・・・・・」
「私、今、ちょうど、ここを通りかかって・・・・・・、この子は××福祉施設で幾度か見かけました。あの施設の子ですよ。こんな所まで、ひとりで・・・・・・」
紳士は、少年の肩に手を置いたまま、自分は今、忙しいのだが、という素振りで、しかし、「立派な社会人」らしい品位を保ちながら、「お電話、拝借できますか?」と言った。「電話はありません」と言うと、少年の腕をとって、電話のありそうな方に去って行った。次の日から、少年は来なくなった。
それ以後、私は、その庭の陽だまりを見ると、あの紳士と少年の事が思い出されて、何か腑に落ちない、妙な不安におそわれるようになった。少年の母親は、少年が、世間に迷惑だから、と言われたのだろうか。(何が迷惑なものか)ここで、あの紳士を責める気はない。また、「地上に生まれ落ちたものは全て、それ固有の存り方をする権利を持っている。」などと論陣を張るつもりもない。問題は小さな所から来ているのだから。——-小さな詩人が、陽だまりにたたずんで、木クズの落ちるのを見続ける事の価値と、施設で内職まがいの作業をさせられる価値と、理屈でどうしようとしても二つはかみ合わない。百人が、手でものを作ると百様のものが生れる。それを百様のまま受け入れるのでなく、分類して上下にランク付けする。社会とは管理の事なのだが大義を背負った管理者の感覚ときたら、まるで冷感鍛造機の様なのだ。
(阿)会報 糸ばたかいぎ 1992年春号(No.13)掲載