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教育とは個人に群を成す心を構築する仕事・・・?

フランツ・チゼックという美術教育者が言った。「子供の絵の指導を大人がやるのはとても気をつけてやらないと、自然な自分の内からの感性を子供が表現するのを邪魔してしまう事が、大いに有りうる」と。「外から正しい何かを教え込むのではなく、子供が内からのものを外へ表現し易い環境を整えるのが大人の義務だ」と。「大人は子供に紙と鉛筆、クレヨン、絵の具と筆を調達して来てあげる程度の手伝いをするのが仕事だ。

子供の内に有る天然のモノを、大人の社会からの感覚で評価するのは、おかしい。大体、思想と言うのは外界との関係で出来上がるもので、大人のその社会感覚での評価は工場生産の商品管理のようなものだ」このチゼックの思想は、反体制的と言われたが、実に真実だ。古代の原始仏典(中村元)中阿含経第五十六巻「この法は知に赴かず」にも書いて有る。教えを求めて尊者アーラーラ・カーラーマを訪ね、学んでいた釈迦族の王子シッダールタは言った。「我は尊者の説く法に達するのに、そう長い時間はかからずに済んだ。我は、ただ唇を動かし、言葉をかたり、長老の知識をひとに解説する程度には、我は見知り、理解する」と、自他ともに認め、先生と呼ばれるほどになった。そこで王子シッダールタは問うた。「尊者アーラーラ・カーラーマよ、貴方はこの法を、自ら感じ実証し、どの程度にまで体現し自らに告げて居られるのですか?」と。しかし、実にアーラーラ・カーラーマはこの法をただ信ずるだけで、我自ら体現している。とは告げてはいない。そのとき王子シッダールタは気付いた。この法は知に赴かず、正覚に赴かず、平安に赴かない。ただ知識を獲得し師弟を演じる具とし、小さな利益を得るのみ。と。そこで彼は、そこを出で立ち去った。

若い頃に読んだ、中村元の仏典。アナンダのつむぎの地方出張講習会などで、その地方の、真面目につむぎや織りをやって居る人、教えたり個展したりしている人に、たまに、「正しいつむぎ方」または「最高に良い糸をつむぐ」つむぎ方について・・・、問われる。と、その時、中村元のこれ「原始仏典」を、いつも想い出す。つむぎや染め織りの技法を求めてアナンダの講習会に参加したり、アナンダのつむぎの本(まだ出てない。出版は今年末の予定)を買ってくれるだろう客が、この王子シッダールタのように・・・、私はアナンダの紡ぎの本、講習の全ての技法を修得するのに、そう長い時間はかからずに済んだ。私はただこの本に書かれているままに手足を動かし糸を紡ぎ織り、フェルトで物を作る程度には、われは見知り、われは理解する。と自他ともに認め、人に教え、先生と呼ばれるほどになった。そこで問うた。アナンダよ、あなたはこの講習会、この本を、みずから感じ実証し、どの程度にまで体現して、居られるのですか?と。しかし、実にこの紡ぎのアナンダ講習は、われみずから知り、証し、現実の暮らしに体現している。とは告げてはいない。そのとき客は気付いた。読者自ら紡ぎ、講習で作るものも現実に自ら感知し、証し、生活に体現できるように教えられていなければ、これらの技術を知っても、知に赴かず、正覚に赴かず、平安に赴かない。ただ技法を修得し語り、知識と方法を獲得して師弟を演じ、小さな商いを利する具とするのみ、と。そのような紡ぎならば読者は講習会を尊重せず、紡ぎの本を閉じ、古本屋へ売りに行く。・・・という事になっては大変だ。著者自ら手つむぎのセーターは滅多に着ては居ないし・・・!

しかし、これが実は内容逆転で、熱心に技法を追求する真面目な人が、地方講習などで「理想的な糸」「最高の糸」また、その「つむぎ方」を教えてもらいたい。と問う。この人の方が、とても尊者アーラーラ・カーラーマの方に似ているのだ。というのは、この世界に最高の糸などというのが有るはず無いし、でこぼこの糸は悪いと言うことも無いし、目的や好みが違うと糸も違って来るし、原毛によって変わるのだから、最高などという基準は、在ろうはずがない。糸の真実を現実に感知し、証し、暮らしに体現しようとして見れば、最高の糸などというのは、知識と技法を修得し語り、評判を獲得して、その鳥かごに人を閉じ込めて師弟を演じ、貧しい商いを利する具とするのみ。アーラーラ・カーラーマの弟子となった王子シッダールタは彼の言う真理が疑問になって、その講習、つまり「つむぎ」が日常の暮らしに、何か役に立つのですか?と聞いた訳だ。手でつむぐのだから、明らかに、日常に得がなければ、何の意味も無い。

そこでアナンダは、あの美術教育者、フランツ・チゼックの言葉、自分の内からの感覚で、手で紡いで編んだセーターが、どこの品よりも質が良く、安く出来る。と、いつも言っているのだ。これは王子シッダールタと同じ立ち位置でニュージーランドの、とても良い環境の牧場、動物の飼育感覚の優れた飼い主と出会って、健康な羊の毛、その毛刈りの頃に、たまに手伝いに行って、買い付けて来る。こういう手間と航空運賃を出しても、直接輸入して直に客に小売りする。中間業者が無いので、思ったより安く渡せる。まして、客は自分でつむげば出費は無い。実に新鮮健康の羊の群れ、毛の色も天然の色。安く入手できて、これは暮らしに喜びと平安をもたらす。特に、つむぎは技術よりも素材が命、特殊な技術、難しい趣味のものではなく、慣れると暮らしの中の普通のことなので、つまり、「われみずから牧場を知り、羊を見に行って証し、毛刈りを手伝って体現している」あの真面目な人達も、王子シッダールタが気付いたように、また、チゼックが言うように、子供が自分の感覚で絵を描くように自由に紡げば最高なのだ。(阿)

糸ばたかいぎ2023年夏号掲載