に投稿

ヒトの「存在」のはじまりと人の群(社会)のはじまり

梅雨の季節が来る今頃の山梨の野には、白や黄色、赤、紫色などの花がいっぱい。何か、こちらに向かって言って居るように力を込めて咲いて居る。多分、虫たちに向かって、美味しい蜜をやるから、ほら、こちらに飛んで来て受粉作業しなさい。と、言って居るに違いない。または、人に向かって、どうだ、綺麗だろう。花畑に植えて種子を増やして、そこら一面、一色にしないか、なのだろうか?

続きを読む ヒトの「存在」のはじまりと人の群(社会)のはじまり
に投稿

この社会の上下評価から出る。別の喜びの世界を広げる

アナンダでは「先生」とか「社長」とか人を階級で呼ばないようにして居る。アナンダでの講習会でも「先生」と呼ばれると、上から下に教える雰囲気の態度で客に対応した証拠だから減給だと(半分冗談で)言われている。世界には、学校の生徒と先生でも、互いにニックネームで呼び合う国は沢山ある様だ。昔、私が留学したインドのタゴール国際大学でも、先生を呼ぶのにプロフェッサーなどの意味を含ませた呼び方はまるで無かった。

続きを読む この社会の上下評価から出る。別の喜びの世界を広げる
に投稿

アナンダコラム(2020年秋冬号)

昔、ペルシャの詩人が「自分は鳥かごから出られて自由になった」と、喜びの詩を詠ったそうだ。この「鳥かご」の事は、私は何度も人に話したり書いたりしている。環境から知らないうちに心の中に構築された善悪、正誤、優劣、上下などの評価基準。その「観念」に彼は閉じ込められて、戦って居たのだ。ついに鳥かごから出られて、目の前の現実を「感覚」で捉えて生きる自由を獲得したのだ。

続きを読む アナンダコラム(2020年秋冬号)
に投稿

庶民の心と多様性

戦時中の体験談を聞き歩いていて居て、ふと不可解なエリアの存在に気付いた。それは庶民の心の素晴らしい一面と、同時に、周囲への依存性または迎合性。米兵の捕虜が街の大通りを引かれていくのを、道端に立って見て居たおばさん達が、ヒソヒソと「可哀そうにねえ、あの兵士にも親、兄弟、友人が居るだろうに」と、話して居たのだそうだ。この体験談が、まず、不可解。その頃は町内会長の号令で、軍事教練「鬼畜米英」、大声で怒鳴りながら、ワラ人形を、竹ヤリで突き刺して居た。なのに捕虜となって引かれる若い米兵を見て、可哀想にとは・・。

続きを読む 庶民の心と多様性
に投稿

日本の伝統文化と同級生の話

小学生だった頃、65年も昔の話。子供達は学校から帰ると、裏通りや空き地に集まって来て、コマ回しやべーごま、カン蹴りなどして遊んで居た。紙芝居のおじさん、金魚すくいの爺さんが来る日には、少し広い範囲からも集まって楽しかった。その群れる子供達の中に、皆から少し離れて、時々、独りだけ立って、黙ってこちらを見て居る同級生が居た。裏通りの庶民の子供達は優しくて、みんなは彼を排除する事はなく、心のどこかで気にはして居た。が、手で誘うと、遊びに加わろうとはするが、ぎこちなく、いつも、気が付くと居なくなって居た。近所の人の話では、彼は暴力団の親分の子で、父親はろくに家には姿を見せず、母親も留守ばかりだったらしい。

続きを読む 日本の伝統文化と同級生の話